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名古屋地方裁判所 昭和54年(ワ)1549号 判決 1982年2月26日

原告

高橋利雄

被告

三輪高弘

主文

被告は原告に対し金九三万三一六四円及びこれに対する昭和五三年一一月一〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分しその四を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決の主文第一項は仮に執行することができる。

事実

(請求の趣旨)

被告は原告に対し金四二六万二四二六円及びこれに対する昭和五三年一一月一〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

(請求の趣旨に対する答弁)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

(請求の原因)

一  原告は昭和五二年八月二七日午後六時一五分頃、名古屋市中川区昭和橋通り六丁目四一番地先道路上を自転車で南進中、右道路上を北進中の被告運転の自動二輪車(名古屋市港こ三八三号)に正面衝突され、転倒し、頭、頸部を打撲した。

二  責任原因

被告は右自動二輪車(加害車)を所有し、業務に使用し、自己のために運行の用に供していた。

三  損害

(一)  治療経過

イ 入院期間 一一五日

(イ) 中部労災病院 自53・11・10 至53・12・13三四日

(ロ) 中京病院 自54・6・11 至54・8・30八一日

ロ 通院期間 約一二ケ月(入・通院期間約一六ケ月から入院期間約四ケ月を差引く)

(イ) 名古屋掖済会病院 自53・12・14 至54・4・10

(ロ) 南接骨院 自53・12・16 至54・4・27

(ハ) 名古屋大学医学部付属病院 54・4・28

ハ 後遺症 一四級の九

(二)  入院雑費 六万九〇〇〇円

600×115=69,000

(三)  休業損害 二〇一万六五〇八円

イ 休業期間 三一四日

自53・11・18 至54・9・17

ロ 日給 六四二二円

自53・8 至53・10の総支給額五七万八〇〇二円

578,002÷90≒6,422

6,422×314=2,016,508

(四)  将来の逸失利益 二一万八一一一円

後遺障害一四級・労働能力喪失率五パーセント・労働能力低下期間二年・新ホフマン係数一・八六一

6,422×365×1.861×0.05=218,111

(五)  入、通院慰藉料 一五三万円

イ 入院慰藉料 九九万円

ロ 通院慰藉料 五四万円

(六)  後遺障害慰藉料 五五万円

四  損害の填補 五二万〇一九三円

五  弁護士費用 三九万九〇〇〇円

日弁連による三八〇万円の経済的利益の場合の標準報酬額

六  よつて、自賠法三条により、被告は原告に対し損害賠償金四二六万二四二六円及びこれに対する本件事故の後である昭和五三年一一月一〇日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

(請求原因に対する認否及び抗弁)

一  請求原因一項の事実中「頭、頸部を打撲し」とある点は不知、その余は概ね認める。同二項の事実は概ね認める。同三項(一)イ、ロの各入、通院の事実は認める。しかし、右入、通院は本件事故により原告が被つた傷害の治療に必要なものではない。すなわち、中部労災病院への入院及び名古屋掖済会病院、南接骨院への通院はいずれも本件交通事故を原因とする傷害の治療のためになされたものではない。

また、中京病院への入院及び名古屋大学医学部付属病院への通院も外傷性神経症という後遺障害、即ち医学的には治療不可能な後遺障害の治療のために入、通院したものであり、これらの入、通院は本件交通事故との間に相当因果関係が全くない。すなわち、原告は昭和五三年一一月八日中部労災病院にかかつて以来左記のとおり入、通院を繰り返した。

1  自53・11・10至53・12・13 中部労災病院(脳外科)入院

2  53・12・14、53・12・16、53・12・27 名古屋掖済会病院通院

3  自53・12・16至54・4・27 南接骨院通院

4  54・4・28 名古屋大学医学部付属病院通院

5  54・5・16 名古屋掖済会病院(脳外科)通院

6  自54・5・17至54・6・7 右病院(精神科)通院

7  自54・6・11至54・8・30 中京病院入院

8  54・9・5 名古屋掖済会病院通院

ところで、このように入、通院を繰り返したにも拘らず、この間の治療は何らの効果もあげていない。そのことはとりもなおさず治療自体の必要性がなかつたのであり、原告が種々訴える症状はすべて後遺障害によるものである。

同三項(一)ハの後遺症の点も仮に原告の現在の症状が外傷性神経症として障害等級第一四級の九に該当するとしても、右障害は精神的な面での受傷後の心的葛藤、欲求不満、経済願望などがあつて出現した症状であつて、本件交通事故と相当因果関係にない後遺障害である。同三項(二)ないし(六)及び同五項の各損害はいずれも争う。三項(二)ないし(六)はいずれも本件交通事故と相当因果関係があるものとはいえない。従つて同五項の弁護士費用も発生するに由なきものである。なお、原告の主張する後遺障害第一四級の九は「労働には差し支えがないが頭痛が頻回に発現しやすくなつたもの」もしくは「労働には差し支えないが、受傷部位にはほとんど常時疼痛を残すもの」である。そして休業期間(自53・11・18至54・9・17)の原告の症状はまさに右のとおりであるから、休業の必要は全くなかつたのである。同四項は認める。

二  抗弁

本件交通事故は既に示談によつて解決済である。

(一)  昭和五二年一〇月一四日、原・被告間において、本件交通事故について

1 被告は原告に昭和五二年九月三〇日に休業補償及び慰藉料の一部金として金一五万円を支払つた。

2 被告は原告に残金二〇万円を休業補償及び慰藉料として支払う。

3 償与の減額分及び後遺障害については別途示談する。

との内容の示談が成立した。

右示談に従い被告は同年一〇月二九日原告に対し金二〇万円を支払つた他、更に訴外善進農業協同組合は被告のために左記金員を原告に支払つた。

昭和五三年一月一三日 三万五四〇〇円

同年二月二五日 六万八五六五円

同年三月一三日 五二万〇一九三円

従つて、原告は示談書にある償与の減額分等については既に必要以上に支払いを受けている。

(二)  原告の主張する頭痛、めまい、耳鳴なるものは本件事故直後より持続して存したものであり、示談後に発生したものでなく、かつまた示談時には予見しえなかつたものではない。

(三)  仮に前記示談によつて原告に損害賠償請求権の一部が留保されていたとしても、それは後遺障害に限定されるのであるから、本訴請求中後遺障害に伴なう慰藉料ないし逸失利益以外の賠償請求は失当である。

(抗弁に対する認否)

一 抗弁(一)の事実は認める。同(二)、(三)は争う。本件症状は本件事故直後より持続しているものではあるが、昭和五二年一〇月頃の症状は微々たるものであり、治癒の方向に進んでおり、事実昭和五三年八月末頃までは気にすれば感じる程度の症状であつたものであり、原告が本訴で主張する治療を必要とした症状に発展するとは予想もしなかつた。

二 被告主張の示談契約において後遺障害については別途協議すると明記されており、右示談契約において留保された別途協議は未だ行われていない。そして、原告が本訴において主張する損害は全て昭和五二年一〇月一四日以降の損害であり、右留保された損害にかかるものである。従つて本訴は右示談契約に牴触するものではない。

(証拠)〔略〕

理由

一  請求原因一項中原告が頭、頸部を打撲したとの点を除いては被告がこれを明らかに争わないので、自白したものとみなす。(以下本件事故という。)

いずれも成立に争いのない甲第二号証の三、第四号証、乙第二号証、第六号証の一ないし四によれば原告は本件事故によつて頸部挫傷を受けたものと認められ、右認定に反する証拠はない。

二  請求原因二項の事実は被告がこれを明らかに争わないので自白したものとみなす。

三  請求原因三項(一)イ、ロの各入、通院の事実は当事者間に争いがない。被告は右各入、通院と本件事故との相当因果関係、従つて原告主張の各損害との因果関係を争うので以下この点について判断する。

(一)  原告が本件事故以前の昭和五〇年頃頭部ないし頸部に受傷した事実は原告本人の供述及びいずれも成立に争いのない乙第四号証の四、第九号証の五・六によつてこれを認めることができる。しかし右受傷は、原告本人の供述によれば、トラツクに積まれていた有刺鉄線を下ろす作業中に生じたもので、その際原告が転倒、頭部打撲等したことはないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  原告が本件事故で頸部挫傷を受けたものであることは前認定のとおりであるところ、成立に争いのない乙第九号証の一、第一〇号証の一七によると原告は最初頭痛、立昏みを訴えて昭和五三年一一月四日初めて中部労災病院内科に受診し血糖検査をして様子を見たが軽減しないため同月八日同病院脳外科に外来患者として受診したことが認められ、いずれも成立に争いのない甲第二号証の一・二、乙第四号証の一ないし四、第一〇号証の一ないし三八、第一一号証の一ないし四並びに原告本人の供述によれば次の事実が認められる。

原告は同病院で頭痛、耳鳴り、目まい等の症状を訴えた。同脳外科で頭部エツクス線写真を撮つたところ、石灰沈着像が認められたのでその主訴にてらして脳腫瘍を疑い入院精密検査をしたが、脳腫瘍は認められず、同科では椎骨脳底動脈循環不全と診断した。同病院の看護記録によれば、原告は耳鳴り、頭痛等の訴えにかかわらず苦痛表情は見られないばかりか、訴えたすぐ後で同室者と笑顔で会話する等の行動が見られた。同科での入院は同月一〇日から同年一二月一三日までの三四日に及び、目まい感は入院後改善された。右入院中同病院神経科において同年一一月一三日外来患者として受診したが、特に神経学的所見は認められず、そのカルテの診断名は頭部外傷後遺症の疑いとなつている。なお、前記脳外科医師の作成した診断書には右入院期間中、「休業を要す」との記載はあるが、「入院加療を要す」との記載はない。同病院では外に歯科も受診している。中部労災病院に対する鑑定嘱託の結果によれば、右入院期間中同病院脳外科医師は原告から再三交通事故の後遺症診断書を求められたが、身体的な因果関係が証明できないとしてその発行を拒絶した。

(三)  いずれも成立に争いのない甲第二号証の三・五、第五号証、乙第五号証の一・二、第六号証の一ないし四、第七号証の一ないし七、第八号証の一ないし七、証人水野信義の証言並びに原告本人の供述によると次の事実が認められる。

原告は中部労災病院での診療を不満とし別の病院での入院治療を希望して、同病院(脳外科)を退院しその翌日の昭和五三年一二月一四日、事故直後の治療を受けた名古屋掖済会病院の脳外科を受診したものの右希望が果せず、同月一六日、同月二七日と同科に通院した後妻の知人の紹介で昭和五四年四月二八日名古屋大学医学部付属病院に赴き同病院精神科水野信義医師の診断を受け(同病院では同年五月一四日にも通院治療を受けている)、同医師が週一回通つて診療をしていた名古屋掖済会病院に再び通院することになり、強く入院治療を求めたが果せずその間同年五月一六日同病院脳外科に、同年五月一七日、同月二四日、同月三一日、同年六月七日同病院精神科に通院し前記水野医師の治療を受け、同医師の紹介と努力で漸く後記認定の如く中京病院に入院することができたが、同病院を退院させられるや同年九月六日、一〇月一一日、一二月六日、同五五年二月二一日、同年四月一〇日と名古屋掖済会病院精神科に通院し治療中止に終つている。結局同病院には入院したことがなく実通院日数は両科を通じて一三日間である。同病院脳外科医の診断は頸部外傷後遺症であり、精神科医の診断は頸部外傷後遺症(疑)、肝障害、神経症となつている。

(四)  いずれも成立に争いのない甲第二号証の四、乙第一二号証の一ないし五、並びに原告本人の供述によれば次の事実が認められる。

原告は強く入院治療を希望して前記水野医師の紹介により中京病院精神科に昭和五四年六月一一日から同年八月三〇日まで入院して治療を受けた。同病院医師成田善弘作成の診断書によれば病名は頭部外傷後の神経症状態となつている。同病院では整形外科でも治療を受けたが、「年のせいだ」とあしらわれ、原告は大いに不満を持つた。事故との因果関係が疑問視され、入院中飲酒するなど態度も荒れた。頸椎骨粗鬆症の病名も付せられたが、症状の一切を交通事故のせいにし加害者との示談の不成立なことに不安、焦燥を訴え、易刺載性と労働意欲喪失とが認められた。同病院医師の診断(経過要約)に拘らず原告は症状が改善されたとの意識を持つていない。同病院の退院は転医とみるべきもので前記乙第七号証の三及び原告本人の供述によれば中京病院退院直後原告は名古屋掖済会病院への入院を求めて再三電話で申込みしていることがうかがわれる。

(五)  いずれも成立に争いのない甲第二号証の六、乙第二号証並びに原告本人の供述によれば、原告は本件事故直後の治療の際口唇部の受傷部位の治療がおわるや名古屋掖済会病院での治療を中止して南接骨院で施術を受け治療効果をあげていたので、その南接骨院に前回と同じ頸部捻挫の傷病名で昭和五三年一二月一六日から同五四年四月二七日までの間に通つて施術を受けていた事実は認められる。しかし、その実通院日数及び当時の身体状況(休業の要否等)を認めるに足りる措信すべき証拠はない。

(六)  成立に争いのない乙第一〇号証の一ないし三八及び原告本人の供述によれば原告は小学生時車に轢かれて左大腿骨を骨折し、高校卒業後すぐ仕事についたが、その頃肺門淋巴腺炎で三ケ月入院し、昭和三四年頃(二六、二七歳時)函館において港湾荷役作業に従事中過つて岸壁のトラツクの荷台から約一〇メートル下の船の床板に転落し下半身打撲で二週間入院し、昭和四〇年頃盲腸炎を患い、昭和五〇年頃には前記認定の如く荷作業中頸部を有刺鉄線で切り、更に昭和五二年八月自転車に乗つていて前から来た自動二輪車と衝突し上口唇を一一針も縫う切創を受けた(本件事故)等兎角病気・事故が多く、その兄は脳卒中で左半身麻痺の状態であることがそれぞれ認められる。

(七)  中部労災病院に対する鑑定嘱託の結果は「原告は昭和五四年九月一七日職場復帰(トラツク助手として)後も、天候の如何によらず続く頭痛、頸筋が痛く頭を振ると音がする、耳鳴り、立昏み、肩凝り等多彩な症状を訴えるが、これら主訴について身体症状の上からは本件事故との因果関係を証明する他覚的所見はなく、また、右症状は加齢変化即ち動脈硬化、椎骨脳底動脈循環不全、変形性頸椎症などによつても起りうるものであつて、本件事故との身体的因果関係は証明できない。しかし本件事故直後の症状が治療等により一旦おさまつた後でも精神的な面での心的葛藤、欲求不満、経済願望などが加わると、前記のような多彩な症状が発現することがあり、右症状は外傷を契機として発生した心因反応で外傷性神経症として本件事故との因果関係を認めることができる。その治療効果は収め難いもので、昭和五五年一二月一一日鑑定のための診療時既に症状固定の状態にあつたものであり、局部に神経症状を残すものとして後遺障害一四級に該当する」というものである。

(八)  原、被告間に昭和五二年一〇月一四日「賞与の減額分及び後遺障害については別途示談する。」旨の留保条項を含む示談がなされていることは当事者間に争いがなく、右留保された後遺障害等についての示談がその後なされたことを認めるに足る証拠はない。そしていずれも成立に争いのない乙第六号証の三・四、第七号証の七、第八号証の一ないし七によれば、原告は本件事故直後の名古屋掖済会病院での治療を昭和五二年九月五日医師からの「就労して気分を変えるように」との指示で打切つたが、その折頭重感、頭部痛を訴えていたこと、翌五三年一月会社でトラツクの運転手から自家用乗用車の運転手に転種変更されたことに精神的な負担を感じていたこと、名古屋掖済会病院精神科外来患者として通院中高い後遺症認定を切望し、賠償問題がはかどらぬことにいら立ちを覚え、また、自分が家の中で孤立している旨訴えていたことがそれぞれ認められる。

(九)  以上認定の各事実を総合すると、原告の症状は原告の特殊体質を土台に留保された賠償問題解決の欲求が引金となつて発症した外傷性神経症で、それは後遺症の範ちゆうに属するものではあるが、心因性のものであり、前記入、通院についての費用、その間の休業損害等の全てを被告に負担させるのは相当でなく、本件事故と相当因果関係のある範囲は通院六ケ月分についての慰藉料(金六八万円を相当とする)と本件について第一四級の後遺障害を認め、右後遺障害に基づく逸失利益と慰藉料に限定すべきものである。

従つて請求原因三項(一)ないし(三)、(五)の主張は右六八万円を超える部分については全て理由がない。

(一〇)  弁論の全趣旨によつて成立を認める甲第三号証によれば原告は日扇運輸株式会社に勤務し、本件症状発症前三ケ月の平均日収は六二八二円を下らないものと認められ、

578,002÷92>6,282

これに労働能力喪失率〇・〇五、低下期間二年、その新ホフマン係数一・八六一を乗ずると、

6,282×365×1.861×0.05≒213,357

後遺障害による逸失利益は二一万三三五七円となり、また、後遺障害慰藉料は金四六万円が相当である。

(一一)  右(九)、(一〇)に認定した金額合計一三五万三三五七円に対し損害の填補として金五二万〇一九三円受領した事実は原告の自認するところであるから右金額を控除すると本件事故に基づく後遺症による原告の損害は金八三万三一六四円となる。

なお、原告の弁護士費用中被告に負担せしめる金額は一〇万円が相当である。これを加算すると原告の損害は金九三万三一六四円となる。

四  被告は本件事故による損害は示談解決済であると主張するが、さきに判示した如く被告主張の示談においては後遺障害については留保されていることが明らかであるから、右主張は失当である。被告はまた本件症状は示談後に発生したものでなく、かつ、示談時に予見しえなかつたものでない旨主張するが、本件症状は前認定の如く被告主張の示談後に発生したものであり、かつ発症の内容、程度からみて示談時に予見しえなかつたものと認められるから被告の右主張は採用しない。

五  よつて、被告は原告に対し、本件事故に基づく損害賠償として金九三万三一六四円及びこれに対する本件事故の後である昭和五三年一一月一〇日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による金員を支払う義務があり、原告の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担、仮執行の宣言につき民訴法八九条、九二条、一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 吉田宏)

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